武塙通信vol.1
ポイントカード

こんにちは。かさばるなぁとは思うものの私はポイントカードというのが結構好きで、映画館のポイントカードはいつでも五枚お財布に入れて持ち歩いています。 武塙
武塙麻衣子 2023.01.01
誰でも

 私が週に五日働いているスーパーととやはかなり小規模だ。一年前に駅の反対側に別の大型チェーンスーパーが開店してしまったため、客足は少し衰えたものの、とはいえスーパーととやは生鮮食品の品質も揃えも悪くなく、惣菜コーナーも一応充実している。仕入れ担当者が張り切って、どうやら世間で流行っているらしいというお菓子やジュースなどをそれじゃあうちでも、と仕入れたりするけれど、それがどんどん売れるかというとそういうわけではない。スーパーととやの主なお客は、その日のセール品を絶対に買いたいという強い意志を持つ主婦歴の長そうな女性陣、午後になるとやってくる子連れの若い母親たちや近くの古い団地に住む老人たち、学校帰りの小中学生だ。閉店の九時ぎりぎりにくたびれきった顔をして入ってくる都内で働いているのであろうスーツを着た人たちも少しいる。ここら辺はものすごく田舎というわけではないけれど、都心に出て行くには電車を二本乗りかえなければならないし、途中で特急に乗っても一時間半はかかるのではっきり言って不便だ。私の高校の頃の友人たちは皆、ほとんど都内の大学や専門学校へ進学してしまった。ぼんやりとこの土地に残っている若い人間は、あまりいない。私は、高校生の頃からここでアルバイトをしていて、勉強したいことも極めたい何かも特にないので卒業後もそのまま働き続けている。父は車の整備工で、母は専業主婦で時々近所の果樹園で果物の収穫を手伝ったりしている。祖父母は私が小学生の頃に相次いで亡くなった。まずはじめにおじいちゃんが亡くなり、そのちょうど一年後、おばあちゃんも突然すっと逝ってしまった。晴れた秋の日で、小学校から帰ってきたら一緒に裏山に栗拾いに行こうと話していたのに、学校に電話がかかってきて私と妹が慌てて早退すると、おばあちゃんはいつも通りお昼ご飯を食べた後、庭で掃き掃除をしていて突然倒れて病院に運ばれ、そのまま亡くなったと聞かされた。妹はその場で泣きじゃくったけれど、私はなんだか言葉の意味がよく理解できずにぼうっとしてしまった。

「あんた、おばあちゃん子だったのにねぇ」

と、精進落としの食事の時に、母が何気なく言った言葉がいつまでも忘れられないけれど、いつまでも忘れられないなんて、ましてやそのことで傷ついたなんてわざわざ口にして誰かに言うほどのことではないだろうと思っている。

 決まった時間ではなく、朝や昼や夕方にふわりと時々スーパーととやにやって来る女の人がいた。六十代くらいのように見えるけれど、艶々とした真っ直ぐな髪を肩のところで切りそろえ、爪はいつも綺麗なベージュ色に塗られていた。くっきりした赤い口紅がよく似合っていて、同年代くらいの外国人の夫といつも一緒だった。レジに来ると彼らは「こんにちは」と言って必ずにっこりした。私はどぎまぎして小さな声で「こんにちは」と返す。「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」を大きな声で言うことはなんともない(朝礼で必ず毎回練習をするし)のに「こんにちは」と口にするのはなんだか気恥ずかしかった。けれど私の挨拶が小さくても彼らは特に気にかける様子もなく、英語で静かに何かを話しながら私が商品をレジに通すのを仲よさげに待っていた。彼らが肉を買うことはほとんどなく、時々切り身の魚、あとは野菜や牛乳やヨーグルト、洗剤やトイレットペーパーなどとそれからいつも大量のキャットフードだった。ある時、レジを打ち終え、五袋のキャットフードを他の商品と分けて別のかごに入れ、

「二千五百二十円です」

と言うと、彼女はにっこり笑って財布から現金とととやのポイントカードを取り出してトレーに置いた。ポイントカードにはウィルソン有美子と綺麗な字でサインがあった。カードをポイント読み取り用の機械にスライドさせながら、

「猫ちゃん、たくさん飼ってらっしゃるんですか」

と聞くと、

「そうなの。九匹と暮らしているの」

とウィルソン有美子さんは言い、

「ね」

と、隣に立っている夫に笑いかけた。彼はあまり日本語が得意ではないのか、少し首を傾げてからウィルソン有美子さんと似たような笑顔をこちらに向けた。それが夏頃のことで、なぜ季節まで覚えているのかというと、ウィルソン夫妻がととやを出て行くところがちらりと見え、その時に彼女がとても綺麗な刺繍入りの日傘をちょうど開いたところだったからだ。暑い日だった。それからウィルソン有美子さんの爪にはもうマニキュアは塗られておらず、彼女は痩せ過ぎて見えた。彼女がレジを通り過ぎた一瞬あとに病院の消毒液のような匂いがしたことも頭のどこかにひっかかっていた。

 その日はめずらしく朝からお客がひっきりなしにやって来た。最近はクリスマス向けの商品が並び、いちごの値段が少し高くなり始めていた。卵十個入りがおひとりさま限定一パック百円というセールで開店前からすでに何人かの人が店の前に並んでいて、それらが売り切れてしまった後も、なんだかんだと人が多かった。だから、レジに彼が並んでいたことに、直前まで気付かなかった。レジ台の少し端の方に黄色い会計前商品用のカゴが遠慮がちに置かれ、そのカタンという音にふりかえるとそこにはウィルソン有美子さんの夫が一人で立っていた。

「こんにちは」

と彼は静かな声で言った。

「こんにちは」

と返し、この挨拶はなんだか久しぶりだなと思った。それで、

「お久しぶりですね。奥様もお元気ですか」

と言うと、彼の目の周りの皮膚は一瞬でぱっと赤くなり、ウィルソンさんは首を振った。それだけで、ウィルソン有美子という人がもうこの世にはいないのだろうということがなんとなくわかった。商品をすべてレジに通し、

「今日、ポイントカードはお持ちですか」

と聞くとウィルソンさんは、ぼんやりとした顔をこちらに向けた。

「カードです。オレンジ色の、ここのスーパーの」

と両ひとさし指でカードの形を作りながら言うと、

「あ」

と言って、ウィルソンさんは財布のカード入れのところを見た。彼が自信なさげに首を傾げたので、私は、

「失礼します」

と頭を下げ、ウィルソンさんの手元をのぞき込んだ。並んだいくつかのカードの中からスーパーととやのマークが入ったオレンジ色のカードを見つけだし、

「これです」

と指さした。ウィルソンさんが財布から取り出したカードには、少し右上がりの綺麗な細い字でウィルソン有美子とサインがしてあった。ウィルソンさんはそれを取り出し、そっと名前のところを親指で撫でると私に差し出した。私はカードを受け取り、ポイントをつけながら「カードを紛失した場合や会員様ご本人がお亡くなりになった場合、原則としてポイントは失効になります」というカードの申込書の下の方に小さく書かれた一文のことを思い出していた。けれど、ウィルソン有美子さんが本当に亡くなったのかどうか確かめようがない。まず私は英語がてんでわからない。それに百歩譲って日本語を使って良かったとしても「奥様は亡くなられたのですか」と目の前で明らかに意気消沈している人に向かって聞くことはとても出来そうになかった。それでも有美子さんのカードを返しながら、私は、

「あの」

と言った。あの美しい人がどうなってしまったのか知りたいような知りたくないような、そして目の前にいるこの人ともう少し何か話さなければいけないような気がしていた。うつむいていたウィルソンさんの睫毛は長くまばらで、目は薄い青色をしていた。海外ドラマや映画以外で、青い目の人を見るのは初めてのことだった。

「ウィルソンさんもカードを作りますか」

と聞くと、彼は首を傾げたので、私はレジの下の引き出しからカードの申込書を取り出して見せた。

「簡単です。お名前とご住所をいただければ」

と言うと、ウィルソンさんは申込書を確認し、記入欄に英語での説明があることに気が付いて軽く頷いた。シャツの胸ポケットにさしていたボールペンを渡し、

「あちらのテーブルでご記入下さい」

と壁際のテーブルを示すと、ウィルソンさんは微笑み、支払い済みのキャットフードときのこと牛乳の入ったカゴと申込書を手に、歩いて行った。そしてそのまま戻ってこなかった。ウィルソンさんが戻ってこなかったことに気付いたのは、一時間ほど経ってからだった。その日に限って何故か相変わらず店は混んでいて、四台しかないレジは常に会計を待つ人々でいっぱいだったのだ。トイレに行き、九十分に一度の軽い清掃を済ませて壁に掛けられたチェック表にサインしようとした時に、胸ポケットのボールペンがなくなっていることに気が付き、それからウィルソンさんにペンを渡したままだったことを思い出した。

「あぁ」

と声は出たけれど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 数日後にまたウィルソンさんはやって来た。オリーブオイルとトマトの缶詰とブロッコリーを入れたカゴをレジに置き、

「こんにちは」

と言うと、二枚のポイントカードと私が貸したボールペンを持っていたかばんから取り出した。

「すみません、ペンをありがとうございました」

と言い、それから新しい方のポイントカードを裏返して見せた。そこには、小さくてまるっこいカタカナでウィルソン・オリバーと書かれていた。

「ウィルソン・オリバーさん」

と読み上げると、ウィルソンさんは、

「ハイ」

と微笑んで頷き、それから真面目な顔に戻ってもう一枚のカードを裏返し、

「私はこれを持っていいですか」

と言った。有美子さんのカードだった。本当は、期限切れのカードは破棄しなければいけない。けれど私は、

「もちろんです」

と答え、そしてふいに来年は英語を勉強してみようかなと思った。商品を袋に詰め終えてととやを出て行くウィルソンさんは、たっぷりとしたグレーのコートを着て暖かそうな紺色のマフラーを首に巻いていた。もう間もなくこの辺りには雪が降り始めるのだろう。

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